「タクシーで家に帰る」「娘が迎えに来る」
グループホームにいる父が、そう言って荷物をまとめていた。
職員の方から連絡をいただき、父と少し話をしてほしいと言われた。
話をすると、
「じゃあ、タクシーで帰るぞ」「人を頼んで送ってもらう」
そう言う父。
職員の方々に迷惑をかけて申し訳ない。そう思い、姉妹で面会に行くことにした。
けれど、正直に言えば、「父に会いたいから行く」というより、義務感の方が大きかった。
会えば、いつもの父だった
偉そうな態度で、あれこれと私たちに聞いてくる。
「盆の準備はしたのか?」
ここ数年、父自身がお盆の準備をすることはなかった。家の墓参りにも行くこともない。
それでも父の中では、「お盆が来れば、自分が家のことをする」という昔の感覚が残っているのかもしれない。
そして部屋のタンスを開ける。
「持ってきたズボンを盗られた」「服がない」
そう訴える。
「ここの衣類は、私が準備して持って来たものだから、ここになければないよ」
そう説明する。
けれど、父には理解できない。
説明して納得してもらおうと思っても、話は同じところを繰り返す。
会話に少し間ができると、また最初から同じ話が始まる。
「タクシーで帰る」「服がない」「盆の準備はしたのか」
同じ話が繰り返される。
姉妹で来てよかった
一人だったら、きっともっとつらかった。
「姉妹で来てよかった」 そう思った。
お互いに父の話を聞きながら、顔を見合わせる。
「また始まったね」
そんな気持ちを共有できる人が隣にいるだけで、ずいぶん違う。
面会を終えて帰ろうとした時、職員さんから声をかけられた。
「また来てあげてください」
その言葉が、すごくつらかった。
「また来てあげてください」がつらい
職員さんに悪気がないことはわかっている。父を心配して、家族にも会いに来てほしいと思ってくださっている。
それも分かっている。
でも、その一言を聞いたとき、「また来なければいけない」
そんな気持ちになった。
父に会いたくないわけではない。父を大切に思っていないわけでもない。
それでも、認知症が進行した父との面会は、私にとってかなりのエネルギーを使う。
会えば、何度も同じ話をする。説明しても理解してもらえない。
昔の父のような偉そうな態度で言われることもある。帰ったあとには、どっと疲れる。
それでも、「また来てあげてください」と言われる。その言葉が、私には重かった。
他人から見える父と、家族から見える父は違う
施設の職員さんから見れば、父は穏やかな高齢者に見えているかもしれない。
同じことを何度も言う。「服がない」と訴える。帰りたいと言う。
それは、認知症の症状として理解してくださっていると思う。
専門職である介護士さんでさえ、大変だと思うこともあるだろう。
だからこそ、
「家族なら、もっと会いに来られるでしょう」
と思わないでほしい。家族には、家族にしか分からない関係がある。
家族だから仲が良いとは限らない。
長い年月の中で積み重なったもの。
言葉にしたくないこと。
今さら誰かに話す必要もないと思っていること。そんなものを抱えている家族もいる。
施設から見えているのは、その人の生活の一部分なのだと思う。
その人が家族の前でどんな顔をして来たのか。
どんな親子関係だったのか。どんな夫婦関係だったのか。それは、外からは見えない。
ケアマネジャーとして、家族に帰省をお願いしてきた
私はケアマネジャーとして、これまでたくさんのご家族に連絡をして来た。
「できれば一度、ご本人に会いに来ていただけませんか」
「少し様子が変わって来ていますので、一度帰省をおねがいします」
遠方に住んでいるご家族に、帰省をお願いすることもある。
これまでは、
「家族なのだから」そんな気持ちがどこかにあったのかもしれない。
でも、自分が家族の立場になってみて、少し見えるものが変わった。
家族には、私たちには見えていない事情がある
帰省できない理由があるかもしれない。「家族だから」という言葉だけでは片付けられない何かがあるのかもしれない。
「また来てください」の裏側にあるもの
家族に会うことが本人にとって大切なこともある。
家族の顔を見ることで安心する人もいる。
だから、面会をお願いすることが間違いだとは思わない。
ただ、「家族なのだから、会いに来て当然」ではない。
面会に来られない家族を、冷たい家族だと決めつけないでほしい。
面会に来ても、疲れ切って帰る家族がいる。
会いたい気持ちと、会うことがつらい気持ちを同時に抱えている家族もいる。
次の面会を考えながら
「次はいつ面会に行こうか」と考えている。
行きたくないわけではない。
でも、
「今度は行動・心理症状が出ませんように」
と願っている自分もいる。
「家族にも、それぞれ事情があります」ということを、忘れないケアマネジャーでいたいと思う。


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